代表の想い

葬儀を始めた理由

葬儀を始めた理由

大学卒業して夢もなかった私が就職した会社が冠婚葬祭互助会の会社であった。1年目は営業部配属、2年目より葬祭部に配属された。3か月の研修を終えて、葬祭部に残る事を決意。多額の葬儀代を1.2日のお世話でいただくことへの責任感とこんなにも人の役に立てる仕事があることにやりがいを感じたのが本音。

それ以降、通常の葬儀はもちろん、数少ない大きな金額の葬儀(故人や遺族の立場が上の方々)を積極的に行ない、規模の大きな葬儀は作田!と言われるようになった。

しかし、どんなに葬儀の仕事をしても一人前になった気がしない・・・なぜなら、大手ならではの考え方、効率を重視するために分業制になっていたからだ。霊柩車は霊柩部門専門、葬儀後のアフターフォローは営業部、仏壇仏具や香典返しは協力会社に外注というようにすべてを遺族に捧げることはできなかった。また売り上げ重視の考え方も相まって売り上げを上げられるスタッフは「見積班」といって打ち合わせだけ行うことも多かった。多い時には1日に5組の打ち合わせをしたこともあった。その中で少しずつ葬儀に対しての考え方が冷めていく自分を認識し、「今、親が死んでも涙を流せないかもしれない」と思ったのが独立志望の最初であった。

ただ、その時点では、1人で全てをできる自信がなかったため、東京法人への転勤を願い出て学びに出た。東京は人口も多いため、葬儀も多く、しかも地価が高くて建物を建てられない為、既存の場所を借りる外現場が多く、しかも全て1人で行わないといけない程、生半可な場所ではなく、自分以上の技量を持っている人達がたくさんいた。 そこで、福岡では行えなかったことを2年間学び福岡に帰ってきた。

早速、太宰府天満宮での社葬を手がけ、新店舗の立上げを行い以前にはなかった自信を得た中で、会社設立の準備を行なった。その頃会社にも進言していたのが、現在、行なっている低価格での葬儀プランの導入である。その頃までずっと葬儀代金を高く頂く事が是と教育されてきた。売上を上げられない人は見積もりをさせない社内体制にも疑問があった。しかも長年葬儀に携わりお金のない方達が多く感じられる中で、生活保護の葬儀でも売り上げや販促の強化を求められてきた。1件の売上からどの位の利益が生まれているかもわかっていた。確かに人件費や設備投資などにお金がかかっているのはわかる。社長の日本一の会社にしたいという思いもわかる。だが、お客様がそれを本当に望んでいるのか?その為に、きらびやかな葬儀場で高い葬儀をしたいと本当に思っているのか?ましてや故人がそれを望んでいるのか?と考えた時にどうしても肯定出来なかった。亡くなるほとんどの人達は親になる世代です。自分の葬儀を豪華にして欲しいと、たくさんの金額をかけて葬儀をして欲しいと本当に思っているだろうか?ましてや、借金することや、自分達の生活レベルを下げてまで葬儀費用を捻出するなど望んでいるだろうか?親であれば、自分の事より、子供達、孫達のその後の人生の幸せを願うはず!と考え、故人の希望も叶え、遺族も負担を少なくし、安くてもきちんと見送れる体制を整えてあげる!そう考え、会社に進言したが、受け入れてもらえなかった。

そこで、ライフサポートを設立し、当時、まだどこの会社もしていなかった低価格の家族葬ブランドを立上げ、現在に至る。ここ近年は大手も低価格家族葬ブランドを立ち上げているが、(以前いた会社も同様)全くの別会社の名前で運営している。これは、高く葬儀してくれる人からは今まで通り、安いのも需要があるから名前を隠して営業していると思われる。僕はこの理念のない仕事の仕方に辟易としている。胸を張って生きていきたい。自分の親が死んだ時に心から泣ける人間になりたいと思うし、私が死を迎えた時に私に対して「よくやった」と言えるような人生を全うしたい。その為には葬儀は仕事だけれども、ビジネスとしてだけでは計れない気持ちが大切だと考える。話すことができない故人の事も考え、遺族、働く人みんなが幸せな気持ちになれる、、、明日への活力となれる貢献ができたらと心より思います。

ペット葬儀を
始めた理由

ペット葬儀を始めた理由

小さい時から犬が好きで飼いたかったが、父親が転勤族だったのと、あまり好きではなかったようで、飼うことができなかった。大人になり、社会人として、それなりに生活できるようになった29歳の時、後輩から譲り受けた仔がミニチュアダックスのリシャールであった。
会社を始めたのと同時期で、あまり遊びに連れて行ってあげることができなかったが、最初は僕と2人暮らし、後に奥さんが入り、3人暮らしとなる。とても幸せな日々を過ごすが、リシャール6歳の時に生まれた子供のうち友人にあげた1匹が9ヶ月で突然亡くなる。
我が家で産ませ二ヶ月程、育てていたので自分の仔も同然。夜の9時に連絡を受けるとすぐに家族みんなで大分まで行った。「いつ火葬するのか?」と聞くと、病院から紹介された火葬場に連絡したら明日の仕事終わりに連れて来てくださいと言われたとの事。それまでゆっくりお別れできるのか聞いたら友人夫婦はどちらも仕事をしていて、亡くなった翌朝も休めないからと仕事に行った。残される仔がかわいそうで僕達家族が泊まり込みで守ってあげた。そして夕方、仕事から帰ってくるとすぐに出ると言われ、もう少しきちんとお別れして欲しいと思い、お花や、思い出の写真やお菓子などを準備して、友人夫婦が帰宅してからすぐ火葬場に行くのではなく、しっかりとお別れをしてもらってから火葬場に一緒に行った。

火葬場につくと、おもむろにお別れ室に通され、「仏教式と音楽葬のどちらでお別れしますか?」

友人が音楽葬と言うと、おもむろにカセットテープを押すと千の風になっての音楽が鳴り始めた。スタッフが「音楽が終わるまでにお別れを済ませてください」といい、お別れの時間が過ぎていった。その後隣接する扉を開けるとむき出しの金属の塊(火葬炉)がある火葬室へ通され、網目状の鉄板の上にお棺を置きサヨナラをした。拾骨の時、網目状の鉄板の隙間から小さな骨は落ちていて拾うことができなかったが大きなお骨を拾って帰った。

友人とここで別れ、福岡に帰る道中、メールで感謝の言葉が添えられていた。「作田がいてくれたおかげでしっかりと見送ることができた。ありがとう、、、」
この出来事は僕にはもっとこうしたらいいのにと思える機会になった。

  1. 保冷についてのアドバイス
  2. しっかりお別れできる環境
  3. お花や装飾品のアドバイス
  4. 施設での遺族に対しての配慮

人間の葬儀しか知らない僕にとって家族同然のペットが亡くなった時に絶対譲れない部分である。リシャールにもしものことがあった時に人間同様にお別れさせてくれるところはあるのだろうか?ないなら自分で行えばいいのではないか?そう思い、人間式と遜色ないお別れ方法のペット葬儀社を立ち上げた。

人間の葬儀ではグリーフワークと言って大切な人をなくすと悲しみの処理の仕方によってはその後の生活に支障をきたすと言われている。そのためにはしっかりと適切なお別れをしなければいけないと言われている。ペットも家族という考え方が広がる中で同じようにできるサービスを提供したい。...